ベタ踏み坂と呼ばれる坂を車が上っていくCMを見たことがある人は多いのではないでしょうか。
勾配が高く、不思議な形をした坂は、鳥取県にある江島大橋という実在する橋です。
今回は、江島大橋がどのような橋なのか、成り立ちと併せてご紹介します。
□空に向かって伸びる鳥取と島根の架け橋・江島大橋はどのような橋?
江島大橋は、国土交通省によって1997年に着工されました。
鳥取県境港市にある、車道が二車線あり、両側に歩道が備えられた全長1446mの橋です。
江島側に100mと堺港側に157m程の道路がそれぞれ整備されています。
江島大橋は「風」をテーマにデザインされた橋です。
島根と鳥取を結ぶ大きなアーチ橋でありながら、軽やかで美しいイメージを追及しています。
江島大橋の構造はPCラーメン構造と呼ばれる構造で、橋を支える橋脚と橋板を支える橋げたが一体になっています。
この構造は、外部からの力に橋全体で耐える仕組みです。
橋の中央にある2本の橋脚は250mの間隔があり、PCラーメン構造の橋の中で世界三番目の長さとなっています。
中央部分は水面から約44mほど離れており、5000トン級の船舶が通れる構造です。
□江島大橋は何故作られた?
江島大橋が開通する前にも、江島と境港の間には橋が存在していました。
江島大橋の前身となるその橋は、中浦水門という中海と境水道を隔てる水門の上にあったものです。
この橋は、船が通る際に橋が跳ね上がる仕組みのものでした。
そのため、橋が上がる度に車が待たされることや厳しい重量制限によって大型車両が迂回しなければならないことが課題でした。
中には、重量の関係から乗客が全員降りて徒歩で橋を渡れば、バスだけ橋を通過できるケースもあったそうです。
堺港は国際港であり、観光バスも利用する場所であったため、当時いつでも通れる橋は強く求められていました。
そのような時に、国の計画の中止によって水門が不要になり、江島大橋が造られることになったのです。
江島大橋が造られた後、水門は撤去されました。
水門が造られたのは1970年代のことで、その当時から島根県の江島と鳥取県の堺港は深い繋がりがあります。
広い中海で仕切られながらも地域同士繋がりがあるのは、かつて中海全体に航路が点在し、湖が移動に置いて重要な役割を果たしたことが主な理由です。
□まとめ
今回は、鳥取県と島根県を結ぶ江島大橋についてご紹介しました。
鳥取県を訪れる際には、ぜひご自身の目で橋の勾配を見に行ってみてください。
鳥取県を観光する際には、美味しいごはんが欠かせません。
旅のお供のご飯には、当社のかにめしや鳥取牛弁当などの駅弁がおすすめです。